公開: 2024年2月22日
更新: 2024年7月23日
近代国家の社会では、封建社会のような、物の価値に基礎を置いた物々交換中心の経済ではなく、各国において発行されている紙幣や貨幣の価値と、商品の価値を基本として、市場において商品とお金を交換する貨幣経済を採用します。そのためには、各国や各地方での共通通貨を発行する中央銀行の制度が確立していなければなりません。発行される貨幣の価値は、発行する中央銀行の信用が基本になっています。中央銀行に信用がなければ、お金の価値が安定せず、物価は高くなってゆきます。
明治新政府は、日本の通貨を発行し、日本国内で流通させるため、1872年、国立銀行条例を制定し、通貨の発行を開始しました。当初、各銀行が金との交換を認めない不換紙幣の発行を認めたため、通貨の価値が低下するインフレーションが発生しました。1881年、政府は三井銀行による通貨発行を廃止し、日本銀行を創設しました。1884年、日本銀行を唯一の発券銀行として、兌換紙幣を発行し、他の銀行券(紙幣)を回収しました。兌換券は、金との交換を保証するため、通貨の信用が高く、価値が安定します。これによって、物価は安定するようになりました。
明治新政府は、西南戦争が終わるまで、不換紙幣の発行を許していたため、通貨としての紙幣の信用は十分でなく、日本社会では、インフレーションによる物価の高騰が続きました。これは、江戸時代に各藩が発行していた藩券と同じような認識で、政府が通貨の発行を考えていたことが原因でした。このような金融危機を乗り越え、明治維新の経済は、少しずつ安定してゆきました。